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東京大学過去問2010年(5) 解答


[全訳]
 ウィリアム・ポーターはヒューストンを発ち、二度と戻ることはなかった。彼がヒューストンを離れたのは、すぐにオースティンに来て、裁判を受けるよう命令を受けたためだった。オースティン第一国立銀行で働いていた時に資金を詐取した容疑であった。
 もしも彼が裁判に出席していたら、間違いなく無罪を宣告されただろう。その裁判の行方に、特に関心を払っていたオースティンの人々は、「彼は状況の犠牲者」なのだと考えた。私が多くの人に話を聞き、知りえた限りでは、誰一人として彼の有罪を信じる者はいなかった。倒産して久しいその銀行は、酷い経営状況であったことが広く知られていた。その顧客は、昔からのやり方に則って、店に入り、カウンターの裏から100ドルか200ドルを持ち出しすと、1週間後にこんな風に言うのだった。「ポーター、僕は先週200ドル引き出したよ。僕は書類を残したっけ?残していった気がするんだけど」これでは出納記録を残すことは不可能である。この銀行の業務は極めて杜撰に行われていたために、ポーターの前任者は退職を余儀なくされ、彼の後任は自殺未遂を起こすほどだった。
 ポーターがオースティンへ向かおうとして、ヒューストンから電車に乗ったことは間違いない。彼はむしろ安堵していたのではないだろうか。彼を不安にさせる、重い首枷となってきた裁判が、やっと開かれて、彼の無実が公的に宣言されるのだから。彼の友人達は、彼の無実を信じていた。そのうちのたとえ1人でも、ポーターの側にいたならば、その後の成り行きは全く違っていただろう。しかし列車が、オースティンまでの道程の3分の1ほどの町、ヘムステッドに到着するまでに、ポーターは裁判の光景を想像し、囚人となった自身の様子を思い描き、未来を検討し、疑惑の目を向けられる自身の姿に思いを巡らせた。彼の想像力は理性を凌駕した。そしてニューオーリンズ行きの夜行列車がヘムステッドを通りかかった時、彼はそれに乗ってしまった。
 彼の決心は完全に固まっていたように思える。彼は自分と家族が、公然と辱められる事を避け、新天地で新たな人生を再開するつもりだったのである。彼はスペイン語が話せた上、ホンジュラスという国については無知だったために、その中米の小国が、逃亡先に好都合だと考えた。ホンジュラスから妻に宛てた彼の手紙には、中米で暮らしていこうと決心したこと、娘の教育のための学校をすでに選んだことが書かれていた。
 ポーターが、ホンジュラスへ向かう途中で、どの程度の期間ニューオーリンズに留まっていたのかは知られていない。ニューオーリンズは単なる経由地であり、ホンジュラスの海岸行きのボートが確保でき次第、それに乗って、プエルト・コルテスかトルヒーリョに向かった可能性も高い。いずれにしても、彼はトルヒーリョに着き、船着場に立っていた。そして新たに到着したボートからくたびれたドレススーツの男が下船してくるのを見かけた。「なぜそんなに急いでいるのですか?」ポーターは尋ねた。「おそらくあなたと同じ理由ですよ」とその見知らぬ男は答えた。「行先は?」とポーターは尋ねた。「私の行くべき場所から逃れるためにアメリカを離れたんですよ」とその男は答えた。
 その見知らぬ男はアル・ジェニングスといい、アメリカ南西部を拠点とする凶悪な列車強盗ギャングのボスだった。彼と彼の弟のフランクは、ガルベストンでボートをチャーターしたのだが、出発があまりに急だったために、ドレススーツとシルクハットを、普通の服装に着替える暇がなかったのである。ジェニングスとフランクは、ラテンアメリカで犯罪を続けようと考えていたわけではなかった。彼らはただ、自分達を追跡し始めていた刑事達から、逃れようとしていただけだった。ポーターは彼らと行動を共にするようになり、南アメリカの海岸全体を流れ歩いた。これはポーターにとって、最も長く、間違いなく最も奇妙な旅だった。
 こうして放浪生活を共にする中で、ジェニングスは、ポーターという人間の人生の一面を、他の誰よりも深く見つめたのだろう。ある友人への手紙の中で、ジェニングスは次のように書いている。「たいていの人間にとって、ポーターの性格は理解しづらいだろうが、男というものは、共に飢え、共に食べ、死に直面し、そして笑い合えば、既に互いを理解し合っていると言っていい。何と言っても、人生の中で、酷く腹が減った時ほど、そいつの本性が露わになる時はないから。俺はポーターの本質はもう理解しているし、彼は全く欠点のないやつなんだ。もしも俺と同程度に、世間がやつのことをよく理解しているなら、捜査のサーチライトはやつの美しい魂に向けられるだろうし、そうすればその魂が、台風一過の陽光のように、一点の曇りもないってことが分かるだろう」
 妻に対するポーターの手紙は、最初の3週間が経過した後は、定期的に届けられた。その手紙は、オースティンのルイス・クライスルに宛てた封筒で郵送され、彼がそれをポーターの妻に手渡した。「ポーター夫人は、旦那様からの手紙を選りすぐって、私に読み聞かせてくれたものです」とクライスル夫人は言った。「彼の手紙には、落ち着いたらできるだけ早く夫人とマーガレットを呼び寄せるつもりだと、書かれていました。彼の生活は過酷なものでしたが、その手紙は陽気で、希望に満ち、夫人への愛が溢れていました。ポーター夫人のご両親は、当然のことながら、彼女とマーガレットの面倒を見るつもりでしたが、彼女は世話になろうとはしませんでした。彼女は、夫とどのくらい離ればなれになるか分からないから、いくらか稼ぐために、何か仕事をするつもりだと言っていました。彼女は経済の専門学校で学び始めましたが、体調を崩して辞めることになりました。クリスマスがやって来たとき、彼女はレースのハンカチを編んで、25ドルでそれを売り、オーバーコートと良い香水と、他にも美味しいお菓子を詰め合わせて、夫に送りました。私はあれほどの意思の強さを見たことがありません。彼女がベッドでグズグズしていたのは、彼女が亡くなった日だけでした」
 その贈り物を詰めた時、彼女は40度もの熱を出していた、ということをポーターを知ったのは、1ヶ月も後のことだった。それを知った時、彼は南米での希望を全て投げ出して、オースティンに向けて出発した。自身の事は諦め、運命と法廷が彼に準備している罰は、いかなるものでも受け入れようと決意してのことだった。


[単語・熟語 level A]


[単語・熟語 level B]


[解答]
(1) ア
(2) ウ
(3) ウ
(4) その友人達のうちのたとえ1人でも、ポーターと共にいたら、その後の成り行きは全く違っていただろう。
(5) ア
(6) ア
(7) sudden they had not had time to exchange
(8) ア
(9) イ
(10) a イ、 b ウ、 c エ、 d ア


[解説]
*解答をE-mailで送って頂ければ採点して返信します。E-mail:info@exclusive-academia.com

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