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東京大学過去問2012年(5) 解答


[全訳]
 ひと月の間、サリーを身に付ける。何でもないことのはずが、実際には、非常に難しい問題であった。結局の所、私はインドで、サリーを身に付けた女性達に囲まれて育った。私の母などは、眠る時もサリーを着ていた。
 インドでは、サリーは大人の衣装である。18歳になった後、私は時として、結婚式や休暇、あるいは寺院に行く場合に、美しいサリーを着た。しかしインドでのパーティにシルクのサリーを着ていくというのならともかく、ニューヨーク在住で、しかも10年もの間洋服に慣れてしまった後に、毎日サリーを着ると決断するのは、私自身にとっても法外な事に感じられた。
 サリーは6ヤードの長さの布地であり、折りたたむと美しい衣装となるが、実用性に欠ける。というのも傷が付きやすく、いつほどけてしまうか分からないからだ。正しく着れば、極めてエレガントで女性らしい衣装である。
 しかし、サリーを着ることは、ある種の事を犠牲にすることでもある。もはや信号の変わる直前に、走って道を渡ることはできない。サリーを着ていると、歩幅が狭められるからだ。肩は後ろに引くようにして、姿勢に気を付けねばならない。満員の電車に無理に乗り込む事も出来ない。誰かがうっかりサリーを引っ張ってしまうかもしれないからだ。スーパーマーケットからの帰りに、片手で4つのバッグのバランスを取りつつ、もう片方の手で、便利なポケットから家の鍵を取り出すという事も出来ない。最初の週の終わり頃には、私は苛立ち、自分に腹が立った。私は一体何を証明しようとしているのだろうかと。
 毎日サリーを着るという観念は、私にとって比較的新しいものだった。大学時代というのは、インドのほとんどの女性が日常的にサリーを着用し始める年齢に当たるのだが、私は美術大学の生徒としてアメリカで学んでいたので、他の生徒と同じような、カジュアルな服装をしていた。結婚した後に、私は主婦となり、もう少しファッショナブルな服にもチャレンジするようになった。要するに、私は長年にわたり、アメリカ人のように話し、歩き、振る舞おうと努めてきたのだった。
 その後、私はニューヨークに引っ越し、母になった。私は3歳の娘にインドの価値観と伝統を教えたいと思った。というのも、娘は宗教面でも(私達はヒンズー教徒)、食習慣でも(私達はベジタリアン)、お祝いをする祭りに関しても、一緒に遊ぶ子供達といずれ全く違ってくるのだと分かっていたからだ。毎日サリーを着ることを決意したのは、それぞれの個性を保ちながらも、この人種のるつぼと呼ばれる土地で立派に生きていけるのだと、娘に見せたかったからだ。
 私がサリーを着ると決めたのは、娘のためだけではない。私は適応しようとする事に疲れたのだ。お気に入りのインドのシンガーと同じくらい、私の心に響くアメリカのシンガーはいなかった。アメリカの食事は好きだけれど、インド料理なしでは4日と持たなかった。つまりは、サリーとビンディで、私の民族的な出自を示す時が来たのだと思ったのだ。私は移民になろうとはしていたが、それは自分なりの条件においてだった。今度はアメリカが私に合わせてくれねばならぬ番だった。
 私はゆっくりと、この衣装を着るのに慣れていった。私がサリーを所有し、サリーが私を所有した。混雑した本屋の中を私が誇らしげに歩けば、見知らぬ人達が私を見つめた。中には私と目が合い、微笑みかける人もいた。最初、私は自分が見せ物となる事が嫌で仕方なかった。それからこんな風に考えるようになった。もしかして彼らは私を見て、インドでの素晴らしい休暇や、お気に入りのインド料理の本を思い出しているのではないだろうか、と。お店の人は私と話す時、言葉を分かりやすく発音するようになった。どこにいっても、私は呼び止められ、インドについて質問された。サリーを着ている事が私をインドについての権威にしたかのようだった。タイムズスクエアの近くでは、ある日本人女性が、一緒に写真を撮ってもよいかと私に尋ねた。旅行者は私を見て、私も旅行者なのだろうと考えた。自宅のすぐ側にも関わらず。
 しかし意外な利点もあった。インド人のタクシードライバーは、私がタクシーを止めるためにほんの少し道へ踏み出しただけで、車線を横切って私の目の前に大急ぎで停車してくれるようになった。私の娘が、セントラルパークのジャングルジムの上の方まで登ってしまった時、私はマリリン・モンローのドレスのように空気で膨らみませんようにと祈りながら、サリーの裾を引いて、娘を追いかけようとしたのだが、近くにいた父親達の一人が、私の困っているのを見かねて、私の娘を追って登ってくれたのだった。ニューヨークの白馬の騎士だろうか?私のため?それとも私がサリーを着ているから?
 何よりも、私の家族が理解してくれた事が大きかった。夫は私を褒めてくれた。両親は私を誇りに思うと言ってくれた。娘は、私がカラフルなサリーを取り出してきた時、賞賛の溜息を吐いた。私が彼女を優しく抱き締めると、私が夜にサリーをリフレッシュするために使っていた、甘い香りのするハーブが入った小さな袋から移った芳香が、布の折り目から立ち上ってきて、娘は穏やかに眠りにつく事ができた。私はこんな風に赤ん坊をあやしてきたインドの母親達の、連綿たる系譜の一部である事を感じた。
 すぐにひと月が過ぎた。私が自らに課した義務は終わりを迎えつつあった。開放感を感じるどころか、むしろ不安による鋭い痛みを感じた。私はサリーを着る事に喜びを感じ始めていたのだ。
 サリーはアメリカでは実用的ではない、と私は自分に言い聞かせた。私はサリーを着続けるだろう、しかし毎日ではない。実用的なカジュアル・ウェアに戻る時が来たのだ。


[単語・熟語 level A]


[単語・熟語 level B]


[解答]
(1) ア
(2)(a) コ
(b) ア
(c) ク
(3)(a) ウ
(b) キ
(c) ケ
(4)(a) オ
(b) ウ
(c) イ
(5) カ
(6) 略(全訳参照)
(7) ア
(8) ア
(9) ア


[解説]
*解答をE-mailで送って頂ければ採点して返信します。E-mail:info@exclusive-academia.com

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