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東京大学過去問2017年(5) 解答


[全訳]
 ドリスが94歳で死んだ時、私が彼女と出会って50年が経っていた。私はその間ずっと、私の人生における彼女の立ち位置を、適切かつ簡潔に言い表すような呼称を見つけ出すことはできなかった。彼女の人生における私の立ち位置を表現する言葉を見つからなかったのは言うまでもない。お互いの極めて親しい関係性を表す、便利な一連の言葉がある。母、父、娘、息子、おじ、おば、いとこ。それが現代の西洋社会において一般的に使われるのはその程度までである。
 ドリスは私の母ではなかった。私が彼女の家の扉をノックし、彼女が扉を開け、入ることを許され、彼女と一緒に住むことになるまで、私はドリスに会ったことがなかったのだ。私は他の人達に対して、ドリスのことを何と呼べば良いのだろうか。数ヶ月間、私はドリスと生活し、彼女の友人のオフィスで働き、タイピングを学んだ。その後、彼女は私の父をやっとの事で説得し、私を学校へ戻すことを認めさせたのだった。数年前、11歳の時に入れられた進歩的な全寮制の学校を、私が退学になった後(町でのパーティーに行くために、2回のバスルームの窓から抜け出したせいで退学になったのだ!)、父は罰として私をそれ以上学校に通わせないことにしていたのだった。結局父が折れて、ドリスは私を新しい学校へ通わせてくれた。
 新しい学校ではティーンネージャー達が、親を意味する通常の言葉を使用して、しきりに親の話題を持ち出しては、不満を漏らしていた。私はドリスのことを養母と呼べばよかったのだろうか?彼女は私を養子に取る話をした事はあったが、実際には実現していなかった。私の母はいつものヒステリーの発作を起こし、私を養子にしようとしたら訴えるとドリスを脅した。そんなわけで、私を養子にする計画は立ち消えになった。それでも私は、不正確ながら安易な解決策として、「養母」という言葉を使ったことがあった。私がドリスをどう呼ぶかは難題だった。私が保護者について尋ねられ「ドリス、、つまり、、わたしの養母、、というか、、つまり私のドリスなんですが」などと言わねばならぬ時はいつも、相手に不正確な印象を与えていると感じた。
 いくつかの理由で、正確かつ、私の立場を包括しシンプルに表現できるような、所属に関するフレーズを見つけることが、とても重要になった。私は嘘をつきたくなかった。そして私の状況を正確に要約して他人に伝えるすべを見つけたかった。でも私は養子ではなかった。両親ともに生きていて、私にとって残念なことに、連絡が途絶えているわけではなかった。
 私は以前の学校を退学になった後、バンベリーの父のもとから逃げ出し、ホヴの母のもとに身を寄せ、彼女のごく小さなアパートに同居した。母との同居はわずか数日しか続かず、その間には最も賢い行動は隅に丸くなって食べるのも話すのも拒否することだと思えるまでになっていた。「何で私をこんな目に合わせるの?何でよその子みたいにいい子でいられないの?」母はヒステリーを起こして、そう叫んだ。
 私を両親から離すのが良さそうだと考えられた。お役所は私に食事をさせてから、ホヴにあるレディ・チチェスター病院に入れた。それは広い一戸建て中の、精神科の小さな一画だった。私はその場所公認の子供となり、スタッフと患者の両方が、他の人々の最悪な問題から私を守ろうとしてくれた。私はその環境を素敵だと思ったし、心が休まり、やっと十分に面倒を見てもらえるのだと感じた。
 私は自分が不可解にも妊娠しているのだという恐怖を抱くようになり、医者は私がその問題と折り合いを付けることを待っていた。そのことを別にすれば、私は精神的に全く病んでいなかったし、病院の人達も私を治療しようとはしなかった。私は4ヶ月間そこで過ごした。薬を貰うこともなかった。私はホヴの海岸のベンチに座り、長い時間海を見て過ごした。それは前例のないほど寒く、多くの雪が降った冬だった。その間関係者達は、私をどうするのが正解なのか、答えを見つけようとしていた。
 そして突然に、私はドリスから手紙を受け取った。その手紙によれば、私は彼女を知らないだろうが、私のクラスメイトだった彼女の息子を通して、彼女は私を知っていたのだという。容易に想像がつくように、不良娘のジェニファーは学校を退学になり、今では精神病院にいるのだという加熱したゴシップが、巷には出回っていた。
 ドリスの息子のピーターは、全くの無邪気な親切心から(というのも私とピーターは学校では全く仲良くなかったのだから)、私が「かなり賢い」子だから、何とか助けてやれないだろうか、とドリスに手紙で訴えたのだった。ドリスは私への手紙の中で、彼女は初めて買った家に引っ越してきたばかりで、それは集中暖房システムを備えていて(彼女は特にそれを自慢にしていた)、余っている部屋もあるから、私はそこに住めばよいし、私の父は反対するだろうけれど、試験を受けるために学校へ戻り、大学に行けばよい、と書いていた。手紙には私がいつまで住まわせてもらってよいのか書かれていなかったが、大学に進学するという話からして、ある程度長くいて良い風であった。
 私は何度も手紙を読み返した。最初は肩をすくめるようにして。「なるほどね。これが次に私に起こる出来事ってわけね」私の子供時代には、不測の出来事があまりに頻繁に起き、そしてそれがますます増える一方だったので、それが当たり前になっていたのだ。私は受動的な、冷めた気持ちで、不測の事態を待ち受けるようになっていた。次に読み返した時には、私を守ってくれる保護者がいることに驚いた。その次に読み返して怖くなった。そしてその次に読んだ時には、いくらか落胆し、申し出を受けるかどうかについて現実的に考えた。そうした反応が全て混じり合って、私は自分の恐怖と期待に対してどう対処すればよいのか、また見知らぬ人の誘いに対してどう返答すればよいのか分からなくなってしまった。
 このような経緯で、ドリスは私の母ではない。そして社会的に気まずい瞬間を別にすれば、彼女が私にとって何なのかという問題は、その他のどうでもよい問題と同様に、放ったらかしにされてきたのだった。


[単語・熟語 level A]


[単語・熟語 level B]


[解答]
(A)all
(B)不測の事態が次々と起こったために、それが当たり前だと感じ、何が起きても受動的に受け入れるようになっていたから。
(C)ドリスとの関係を他人に問われ、適切な言葉が出てこないために、気まずい思いをするような時。
(D)(ア)(26) (a)
(27) (g)
(28) (j)
(29) (e)
(30) (c)
(イ)(c)
(ウ)(d)


[解説]
*解答をE-mailで送って頂ければ採点して返信します。E-mail:info@exclusive-academia.com

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